先生の論文には若書きがない。また年代によって興味の対象が次々に移ることもない。はじめから完成度が高く、スタイルがいつも変わらないのである。作曲家に譬えるなら、初期の教会カンタータから晩年のフーガの技法まで、年齢不詳の傑作を均等につむぎ出したセバスチャン・バッハであろうか。私はこれまで、先生の論文を幾度となく読み返してきたが、読むたびに新しい発見がある。はじめは見過ごしていたところが、少し勉強して読み直すと理解できるようになるからである。その意味で先生の論文は、読む人の学問レベルをはかる里程標である。この体験を先生のそばにいた者だけが独り占めすることなく、読者と共有できること、その一助を果たしえたことを嬉しく光栄に思う。
(著作集/解説より)
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